生活空間の時空と密度

写真の中の右側が東京銀座の航空写真、左がつくば市の私が住んでいる付近である。
もちろん同じ高度からの同倍率の航空写真だ。(Google Earth より抜粋して加工したもの)

Tukuba and Ginza

都市を歩く時は、大勢の人やビル群やウインドウデザインに目を奪われてしまって、私の意識は完璧に都市空間に同化している事に気付く。つくばの家の界隈や仕事場の周辺を歩いている時は、私の感覚の全てが、のどかな田園風景に染まっているのだ。
でも以前から、都市を歩き回っている時にふと思うことがある。私の住んでいる家の周辺地域でいうと、どれくらい歩いたことになるんだろうか? 逆に、田舎を歩いているとき、ここに都市のビル群があったら凄いだろうなあ。そして農家の大きな敷地に等に遭遇したとき、この家の敷地は高層ビルの敷地より広いんじゃないんだろうか?等々、私の脳の中で、次元の違う二つの環境をクロスオーバーさせてみるのだ。
都市の中での時間感覚や距離感は、田舎にいる時のそれとは全く違っている。その逆もしかり。実際問題、二つの時空は現実的な感覚の中では同時進行しない。旧大和村(仕事場のある所)と、ニューヨークのビル群は同一次元にはないし、そこを歩く時の感覚も、全くクロスオーバーしないのだ。
だから、現実的にクロスオーバーさせてみたら面白いと思うのだ。

Amabiki and New York 800m
私の仕事場周辺と、ニューヨーク(タイムズ・スクエア)周辺の航空写真である。(Google Earthより抜粋、同じ高度と倍率)

Amabiki and New York
上の写真の鳥瞰写真である。(Google Earthより抜粋、同じ高度・同じ倍率・同じ俯瞰角度)

え!?ホント〜と言いたくなる。この時空の違いは凄いねえ!
まるで田舎の田園風景が、巨大ガンダムに変身しちゃったみたいだ。
雨引の里の風景の中にニューヨークのタイムズ・スクエアが出現する。感覚的に全く異質な二つの時空が、同一空間で認識され感じられる事になる。
基本単位としての自分自身は、ちっとも変わらないんだけど、自分を取り巻く環境が、自分の感覚と認識を変える、もしくは自分の感覚が無意識下で環境に適応することに気付かされる。
この二つの空間は地球上に同時に存在していて、そのどちらにも行くことが出来るんだけど、通常はこの感覚の変質を正当化するための、確かなストーリーが有るわけだ。だから現実の秩序を保つことが出来るんだけど。電車に乗って1時間掛かるとか、飛行機で半日掛かるとか、仕事やショッピング・観光等々のために遠くからやってきたとか。猿の惑星の冒頭で出てくる砂浜に埋まった自由の女神像も、長い時間の経過というストーリーが背後にあるから、映画としての秩序を保つことが出来るわけだ。
この写真のように、現実の秩序を無視して二つの時空が同一空間に存在したら・・・、一体どう認識しどう感じるんだろう・・・??



新しい靴の履き方(2006年)

New Fashion-1人間が二足歩行をする上で、靴は切っても切り離せないアイテムだ。同時にファッションの基本は靴にあるとも言われている。衣類の善し悪しはさておき、靴を見て人を判断すると言う話も聞いた事がある。
今までの概念からすると、足にフィットした靴が基本なのだが、さてさて、この靴の履き方をガラッと変えてみたら、自己の殻に閉じこもり気味な現代人の意識を変え得る事が分かったのだ。
写真は、実際に銀座を闊歩した時に撮ったもの。

左右逆に履くのだ!! 「ヒロシです。家に帰って靴を脱ごうとしたら、左右逆に履いてました。そう言えば今日は多くの人に出会えて、楽しかったとです。」 な〜んて事になるのは受け合いだ。

shoes shoes-2
shoes shoes
上の写真2枚は、アメリカでのパーティー会場にて、写真右の左下の足はミネソタ州都・SaintPaul市長

コミュニケーションの基本は、他者との結び付きにある。
自分の片足と相手の片足が、視覚的に対になる訳だ。同時に、無意識的に自己を他者(世間)に解放するという機能もある。
是非試みて下さい。一人で歩くにゃ勇気が要るけど、みんなで歩けば怖く無いどころか、ファッションになる。


大気汚染と車のデザインの基本(2002年)

車が排ガスを撒き散らして走っているのを見ると、腹が立つことしばしである。
政府や自治体は、排ガス規制を続けているが効果薄である。

問題は車自体の構造・デザインにあったのだ。

drawing of a car2

今までの車は、運転者がいかに快適かという事しか考えていない。

drawing of a car1

これからの車のデザイン。
悪い排ガスを出すと、運転者が死ぬ。

民主主義の基本は、人に迷惑を掛けないことである。
今までの車のデザインは、その事に逆行しているのだ。そんな車のデザインの基本・生活様式の基本に気付かぬ様じゃ、世界のデザイナーや知識人も、大した頭は持ってないのだ。


独断と偏見でゴメンなさいね。でもこんな事、誰だって気付くはずなのに。



独断と恐竜と人間

このところ、人間の体長の進化は巨大化する方向に進んでいる。地球規模で見ると、人口は増え続けていて一人当たりの単位空間は減少しつつある中で、一人当たりの単位体積が増加してるんだから質が悪い。
石油資源が枯渇する中で、巨大排気量の車が増え続けるのと同じ原理である。巨大化した恐竜が絶滅した原因も、環境の変化に対応出来ない身体の巨大化に原因がある。
下記の図を見ていただこう。

earth situation

左から2m、1.5m、1m の人間が、同じサイズの部屋に入った図である。相対的に2m の人間は狭い空間しか持ち合わせなくて、1.5m の人間は2m の人間の3.4 倍の空間を持ち、1m の人間は8 倍の空間を持っているのだ。
大きい事がいい事だった時代は過ぎ去ったのだ。
これからは、小さくて大きな空間を持つ事が大切なのだ。
彫刻もしかり巨大な彫刻が、一個のビルを凌駕する事よりも、小さな石ころが、宇宙を凌駕する事の方が、100倍も1000倍も感動的で美しいと思っている。

人間の進化に対応して、地球が大きくなれば話は別なんだけどねえ。



Copyright © Atsuo Okamoto