66   演歌を手直し

先に書いた「雨引の演歌とJazz」の作品を本日手直しした。Faraway Horison
自分が気に入らないと居ても立ってもいられない性分で、現在雨引で展示中の作品なのだが、世の常識は常に変化させるものと信じて、クレーン付きトラックで作品の胸部から上を切り離し、形の直しを敢行したのだ。
良くなったか?悪くなったか?変わり映えしなかったか? 自分の独善的判断で善し悪しの結果論を導く事は止めにするのだが、少なくとも私の中では読経的雰囲気もしくは演歌ではなくなった様な気がしている。(写真左)
前にも書いたけど、読経や演歌が悪いわけじゃない。ただこのロケーションの中での読経が余りにも填りすぎるし演歌や情歌は似合わないと思っただけ。そして今日やった事は、側頭部を1/3程削り込んで少しだけバランスを崩しただけ。バランスを崩す事で日常の正論や人の情から解放する、な〜んて勝手に思っているだけ。左の写真と下記事「雨引の演歌とJazz」の写真と、一体何処が違うの?と、思われるだろうが、私にとってはやはり大きく違うのだ。Faraway Horison
昔から作品の手直しには躊躇しなかった。個展で発表した作品でも、況んや個展期間中でも憚ることなく手直しをした記憶がある。
手直しといっても、天地が逆になるほど大きく変わるわけじゃない。自分の気になるところを少しだけ直す程度なのだが、自分にとっては大きな変化なのだ。嘗ては画廊で石を削るグラインダーを掛けた事もある。ひととき画廊が石のスタジオになるわけだ。私は慣れているから何て事ないんだけど、画廊の方たちはたまったものじゃないよ。
全く人の迷惑も顧みず、我が儘千万な振る舞いだと後になって気付くのだが、でも自分の中では妙に納得しているわけだ。「これでいい」ととと・・
・・と、一件落着かと思いきや、人間欲が深いというか我が儘というか、未だ気に入らないから、また近々手直しする事にした。
今まで見て下さった方たちや展覧会メンバー諸氏に「バカもん!神聖な展覧会を何と心得とる!」と叱咤される事必至なのだが、怒濤の浴びせ倒しを土俵際でうっちゃって、右の写真(シミュレーション)の様に手直しする。本当は直ししてから公表するのが筋なんだけど、見に来て下さった方たちの事を思うと、事前に公表すべきと判断して、ここに載せる事にした。

ただの雑談

Copyright © Atsuo Okamoto