65   雨引の演歌とJazz

隔年で開催している野外展「雨引の里と彫刻2008」が、数日前(9月28日)に開幕した。
今回で7回目、十数年続いている展覧会である。最初は大和村の旧・小口石材の軒下を借りてコツコツと彫刻を作っていた6人と、同石材の社長も入れて7人で始めた展覧会なのだが、正直こんなに続くとは思わなかった。こんなにエネルギッシュに発展するとも思わなかった。
雨引の里の都会離れした風景もさることながら、作家自身が企画運営する方式、事前の膳立てや企画運営への道筋を参加者が最初から作っていかなければならない展覧会、逆に言うと、作品を制作する者としては、この上なく無愛想な展覧会だからこそ、続いてきたのかも知れない。だから参加者の遣りよう次第で、乗り様次第で良くも悪くもなるんだけど。運良くこの方式が功を奏して、作家が乗ってきた展覧会として発展し続けている。
最初は無関心・無愛想だった地元の方達も、ここに来て徐々に現代美術の面白さを理解され、自分たちなりに講評して下さるようになったし、小学生が彫刻に対して素直に向き合えるようになって来たと感じている。先日、地元のお爺さんが自転車で回ってこられて、私はメッセージ性が無いものの方が好きだね。とおっしゃったのにはびっくりした。

さて、前置きはこれぐらいにして、今回の自分の作品はどうなのか?自問していこう。Faraway Horison
美術には色んなジャンルがある。嘗ての宗教美術・皇帝美術、具象、抽象、ミニマルアート、モノ派、コンセプチャルアート、メッセージアート、フィギュアアート、インタラクティブアート、工芸美術、等々数え上げたら切りがない。私はその何処を目指しているのか?たまに自問する事もあるのだが、ハッキリとした自分のジャンルが見えていない。抽象であるし、モノ派やミニマルも好きだし、コンセプチャルアートにも非常に興味ある。
音楽になぞらえて言うと、民謡あり、歌謡曲あり、演歌あり、クラシックあり、ジャズあり、フォークあり、ブルースあり、ロックあり、ポップスあり、漫画や映画の主題歌があり、民謡あり、童謡あり、・・・等々これも切りがない。
私が思うに、音楽も美術も、環境と密接に結びついていていると思っている。夜グラスを傾けながら効くのはジャズが良いし、田舎をドライブする時はロックが良いし、都会ではブルースが合うし、カラオケでは演歌を歌うし、しんみりすると童謡も良いし、外国で聞くのは民謡がいい。机で考えている時はクラシックが良いと感じている。恐らくそれは私だけじゃなくて、多くの人がそれぞれの状況で、好みのジャンルの音楽を聴いているんじゃないかと思っている。
Faraway Horisonそれでは、作り手はどうかと考えると、アーチストが目指すジャンルはほぼ限定しているのだ。ロックミュージシャンはフォークソングは作らないだろうし、ジャズアーチストは演歌は作らない。オペラ歌手はブルースは歌えない。もちろん似たようなジャンルを彷徨く事はあると思うのだが、また本来の方向に戻るのだ。
美術についてもその事は同様じゃないかと思っているのだが、果たして自分自身がどれかというと、正直困ってしまう。
私は基本的にジャズやブルースや民謡が好きで、そんな作品を作りたいと思っている。しかし、結果的にそうなっているのかどうかは分からないんだけど、少なくとも今まで演歌は作ってこなかったんじゃないかなあ。
今回は人型に孔を空けている。その孔119個の中に120人の人の顔がある。自分ではジャズだと思って制作したのだが、果たして展示してみて、あれ!これ演歌になった!。と感じたのだ。演歌が歌として悪いとは思っていないのだが、目指す方向と違ってしまったのだ。外形の人型が良くなかったのかも知れない。田園風景の中でこの立像を見ると演歌になる。都会のビルの谷間にあるとジャズに変化するかも知れないが、田園風景の中のコンテンポラリージャズもしくは民謡を目指していた自身にしては、ショックな結果だった。原石の形を残して人の顔を埋めた方が、良かったんじゃないかと振り返っているのだが、外形を人の形にしようとしたからこそ孔の中に顔を埋める事に気付いたと言う事もある。
今流行の漫画主題歌や、各トリエンナーレで催される童謡・歌謡フェスティバルの様な曲になれば、皆さんに口ずさんでもらえるんだろうが、やはり私は土着的なジャズやブルースや民謡を目指したいと思っている。
雑談コーナーで以前も書いた、里山と田圃の風景の中でダニーボーイを聞いた、あの心が痺れるような印象は今でも残っている。

ただの雑談

Copyright © Atsuo Okamoto