2006.12.17.

アンコウ鍋
またまた雨引の話題。雨引の忘年会でアンコウの吊るし切りと、アンコウ山盛りの鍋が超旨かったという話題である。
bonenkaiかねてから、小日向女史がアンコウの吊し切りが出来るというんで、それではと海崎氏が旬のアンコウを2匹ほど仕入れて、その腕を披露してもらった。
その実は、アンコウの吊し切りを見たことはあるけど、自分の手でアンコウを捌いた事はなかったらしいのだ。オイオイ、本当に捌けるの?なんて言う間もなく、雨合羽にゴム長を履いて、軍手をはめて作業が始まった。しかし実に見事な包丁回しというか見事な捌きっぷりに全員が見惚れてしまった。
写真はその時の情景、目の前でテキパキと捌かれていくアンコウを見ながら、全員が小日向さんの腕前に、呆然となりながら見とれている写真である。
体長60cmクラスのアンコウに、両手で抱えるほどのふくよかなアン肝が入っているとは知らなかった。bonenkaiアンコウの腑の大部分は肝だったのだ。
作業が始まってアレヨアレヨと言う間の約20分、2匹のアンコウは何枚もの大皿にイッパイに盛られて、その一部が鍋の隣にデーンと並べられたのだ。
アンコウは水分が多いから、鍋の水は極端に少なくするのが、美味しさを引き出すコツらしい。身も皮も骨も、もちろん巨大な肝も入ったアンコウ鍋のできあがりである。これがまた格別!。湯気の立つ鍋の中は、野菜よりもアンコウの方が多いのだ。すなわち野菜よりもアン肝の方が多いといえば、その豪華さが理解できると思うのだが、鍋汁もコクがあって超まろやかなのである。
アンコウは日本近海どこにでも生息していて、各地でアンコウ鍋が楽しめるらしいのだが、その中でも茨城・福島近海にいるアンコウは、暖流と寒流の境目辺りの豊富な餌に恵まれて特に旨い。とは聞いていないのだが、アンコウと言えば茨城と言うほどに、有名なのである。
宴会は夕方4時頃から始まって、アンコウが届いたのが7時頃だったかなあ。それから延々と飲んで食って、夜中の1時頃、アンコウ雑炊を作った。これがまた超旨!!!。

2006.11.3.

世界みかげ石引き選手権
何とも変わった選手権競技会が、「雨引の里と彫刻」の地元、桜川市で開催された。我々が知ったのは最近なのだが、実は毎年開催されているらしい。二百数十キロの石を、3人で25メーター引く競技なのだ。
上位3チームには賞金が出ると聞いて、雨引の里と彫刻実行委員会も参加を決定した。のはいいんだけど、誰が出場するのかが問題なのだ。20代のエネルギーが有り余った輩はいないから、人生経験豊富な人材の中から運動も得意な三人を選ぶ。かつてのラガーマン二人(山本君と山添君)と、現役のスキーヤー(松田君)に白羽の矢が立って、一汗かいてもらうことになったらしい。補欠として、怪力の持ち主(Yさん)・身長では負けない(Mさん)・体力を頭脳でカバーする(Kさん)が控えていて、最強のメンバーが結成された。
ishibiki競技会一週間前の日曜日に、練習用に作った石を使って、競技者全員でトレーニングしたらしいのだが、想像よりもハードで、引き方のコツがあるということが分かったとか。
写真は大会決勝トーナメント競技中の写真である。選手3人の並々ならぬ真剣さが見て取れるのだ。
結果的に雨引チームは11秒台をたたき出して、今シーズン世界第7位の記録となった。ちなみに、優勝は世界記録の6秒台を出した、筑波大チームとなった。基礎体力には絶対の自信を持っている、しかもオリンピックを念頭に入れてトレーニングしている体育系の学生チームらしい。しかしそれ以上に雨引の即席軍団はよくやったのだ。タイムこそ伸びなかったものの、体力の限界を超えて真剣に石を引く姿には、万人を感動させるものがあった。何たってワールドレコード今シーズン第7位なんだから。
雨引応援団も含めて総勢15〜16人、楽しい興奮の余韻冷めやらぬ中で、早くも来年こそはと、リベンジに燃える中年壮年軍団「雨引の里と彫刻」なのだ。

2006.10.25

学生が自分のファッションカツラを持ってきた。
先生、被ってみて!と言うので、試しに被ってみた。生まれて初めての経験だけど、自らのタブー(頭髪を人為的に増やすこと)に挑戦してみた。
wig「なかなかいいじゃん」という奴がいたり、禿げてる方がいいよと言う奴がいたり、浮浪者みたいと言う奴がいたり、大笑いする奴がいたり・・・。数十年ぶりに髪の毛が頬に触れるの感触を感じながら、どれどれと鏡を見てみた。
鏡に映った我が容姿に、若かりし頃の面影を見てドキッとした。そう言えば、昔は髪が肩まであったんだよ。
四十代前半から、頭の天辺が薄くなり始めて、今やとんと頭頂の毛に縁がなくなってしまったのだ。
そうか!、自分が老けて見えるのは髪の毛だったんだ。これからは、帽子代わりにカツラ帽子というのも悪くないなあ。人に挨拶する時は、ちゃんとカツラ帽子を取って、食事の時もカツラ帽子を脱いで、礼儀正しくしなきゃね。カツラ帽子を被った時と、脱いだ時の超超ギャップが、楽しいかもしれない。周りを愉快にするかも知れない。なんて思い始めた自分に、正直驚いている。

2006.9.27

どういう訳か、我が家の周辺には鳥がイッパイいるのだ。
Birds雀が庭で、毎日チュンチュン騒いでいるし、烏が近くの電信柱で、ギャーギャー鳴いているし、でかい鷺が裏の池で魚を捕ってるし、何匹もの小さな鴨が、バシャバシャと続けざまに潜水して餌を漁っている。我が家では、そんな鳥なんて珍しかないのだ。
昨日、天気がイマイチなので、家でホームワークに精を出していたら庭で動く物が見えた。何だ・・・?と目を凝らして見た。ナナ何と、野生キジの夫婦が二組、我が家の庭で草の種を啄んでいたのだ。一瞬「キジ鍋」という二文字が脳裏で点灯したのだが、そこは野生動物愛護家の私、ソ〜ッとデジカメを取り出して、網戸越しにパチリと一枚。キジの夫婦連は、しばらく庭を歩き回って、向こうの草の茂みに消えていった。目と鼻の先で、4羽もの野生のキジを見てしまった。生まれて初めての出来事にワクワク。まるで自分ちの庭で野生のキジを飼ってるような気分だった。
我が家の庭の豊かさに感謝!。
写真は網戸越しのキジ達と、窓から見た裏の池にいる鴨ちゃん。

2006.9.11

barbecue

夏も終わりに近づいてきた頃、JB大の有志が訪ねて来た。時を同じくして、友人の彫刻家(サカリ)がフィンランドから訪ねて来た。
今年の秋は、早足でやってくるようだ。9月3日だというのに、夜は肌寒く、辺りは虫の音で飽和状態である。
我が家恒例の歓迎バーベキューの時、サカリ氏が「この鈴の様な音は何だ?」と聞いてきたのにはビックリした。私は、虫の音なんて当たり前過ぎて、彼が何を言っているのか一瞬分からなかったのだが、どうやらフィンランドの秋は寒くて、鳴く虫もいないらしい。虫は夏に、少しだけ鳴くと言ってたなー。
その夜は、ワイワイガヤガヤみんなで朝の3時4時まで語り合ってしまった。
翌日は寝不足ながら、これまた恒例の那珂川・大瀬の簗に、鮎を食いに行った。爆ぜる炭火で鮎を焼いて、生ビールを飲んで鮎飯をたらふく食った。午後は簗で水遊びを楽しんで、上流にある広い河原でノンビリと過ごした。
dry riverbedみんな童心に返った。石積みインスタレーションに真剣に取り組んだり、水面すれすれに石を投げて何回スキップするかを競ったり、自分の気に入った宝物石を見つけ出したりした。アンディー・ゴールズワージ(自然界の中で、そこにある素材を使って、その場所で作品を作り、それを写真に撮る作家)の底流にあるコンセプトは、ひょっとして子供心なのかも知れないなんて思いながら、時間の経つのも忘れて河原を探求したのだった。
人の知恵はその昔、石を手にした時から始まり、その後、文化や文明が高度に進化するにつれて、社会生活の中で石は必要な物じゃなくなった。でも心の深い所には未だ昔の記憶が残っていて、石に触ると、その当時の記憶が蘇るのかも。文化文明の行く末は、再び石に辿り着く・・・。なんて想像を巡らせながら、田舎道を帰路についた。
人は、雄大な風景を目の前にすると、心の奥で眠っていた野生が蘇るのか?。in a quarry先ほどの河原の風景もそうなのだが、地殻から巌を採掘する石切場もそうなのだ。
みんなで桜川市にある白御影石の石切場に登った。私が使っている石の採掘場なのだが、眼下に関東平野が見渡せるロケーションの中、剥き出しの岩肌の上で、石切職人さんが小さくうごめいている。これから切り出す石に、発破穴を開けているんだと思う。
最近はジェットバーナーで岩盤を切り取る方法が多用されているのだが、この石切場は旧来のやり方で岩塊を採っている。人類が石を手にした時代の感覚で、岩盤に挑んでいるのだ。私の大好きな石切場の一つなのだ。
ここに来ると、どういう訳か、みんなの目が輝く。心臓もバクバクする。地球上に生を受けた動物としての遺伝子が、野性を取り戻している。
岩盤から切り出されたフレッシュな石を見るとワクワクしてくる。そしてその石に触ってみたくなる。触ると実に瑞々しいのだ。心が浄化されるような気分になる。
石切り場には、独特の空気とエネルギーがあって、ただ単に岩山に登って風景を眺めるのとは違うのだ。魚を獲るために海に挑むのと、クルーズで海に出る事との違い。釣り竿を持って挑む海と、眺め親しむ海との微妙な違いなのだ。

2006.8.10

長期間にわたって、このページに新たな談議を書いていなかった気がする。
このところ、雨引のカタログ校正で、個々の作家データ確認と訂正作業に追われて、悶々とした日々を過ごしている。雨引のカタログ委員は2人居るのだが、一人が多忙で、夏日の冷えないエアコンと同様、ココゾという時に全く使い物にならない。メンバーの中で有能な朋輩に手伝ってもらって、煮えたぎる様な熱い情念をイライラと燃やしながら、耳掻きで椀に汁を装う様な焦れったい作業を、夜中まで続けている。

さてさて気分一新、全く違う話題なのだが、私の大切な万年筆のインクの出が悪くなって、文字を書くごとに肩が凝ることが多かった。先日の事、思い切ってそれを修理に持って行ったのだ。
MONTBLANCその昔、イトウヤの高級万年筆陳列ケースにある、太いオレンジ色のボディーの万年筆に目を奪われてしまった。自分としては超高価な万年筆で、無視しようと心掛けたのだが、ペットショップの可愛い子犬が忘れられない様に、いつも足はイトウヤの方角に向いているのだった。相当にためらったあげく、その万年筆のシンプルな色と形と存在感に負けて、有り金をはたいたのだ。
それは、モンブランの初期作家シリーズ(ヘミングウェイ)という万年筆だ。
それまでは 喉から手が出る程憧れていても、買ってしまえばこっちのもの。鞄やポケットに入れて持ち歩いている事を忘れたり、仕事場でデッサンや走り書きに使ったり、雑記帳と一緒に何所かに置き忘れて来たりして、結構過酷な環境を強いて来た気がする。
この万年筆を、モンブラン銀座本店に持ち込んだところ、確かにインクの出が悪くなっている。念入りな調整をお願いしたのだが・・・。
まあそれはそれとして、モンブランカスタマーセンターの方おっしゃるには、「この万年筆は、最近の市場で非常に高い値がついているんですよ。滅多にお目にかかれない逸品です。」だと。勿論私は、そんな事は何も知らなかったのだが、モンブランの作家シリーズ第一弾 "ヘミングウェイ" は、製造本数が少なくて、ほとんど市場に出回らないらしい。使い古してボロボロになったものでも、40〜60万はするんだそうだ。
不肖な息子が、実は世界的な大作家だった様な、ウキウキとした気分で帰って来たのだが・・、問題は、これを使って何を書くかなんだよね。

2006.4.25

Amabiki-openningr

雨引の連中は飲み会が好きだ。いわんや私も大好きなんだけど、例によって宴会の写真である。
上は雨引のオープンの時の写真。夜11頃までは外でバーベキューの残り火で、夜が更けてからは室内での宴会である。何たって雨引は宴会委員という特別な専門委員がいるから、普通の展覧会とはちょっとばかり趣と賑やかさが違うのだ。
本展オープニングの時も宴会委員が腕によりをかけて、手作りの巨大パンでパエリアを作ったり、特製ラム肉のグリル焼きがあったり、本場の激辛キムチ鍋があったりした。夜が白む頃、私は喋り疲れてそのまま畳の上のトドになったのだが、朝まで気丈だったのが、毎回見て頂いている評論家のT.M.氏と、尊敬する作家のH.N.氏、S.T.氏である。年季が違うとは正にこの事で、酒はしこたま飲むけど決して酒には飲まれない。俺なんて未だ未だヒヨッコの部類だと再認識させられたのだ。Amabiki-karaoke
4月24日、雨引のプランニング展がセイホウ画廊でオープンした。プランニング展と銘打っていても小品展の趣が強いのだが、力作ぞろいで見応えはある。
オープニング2次会は銭形のワンフロアを貸し切って総勢40人強の集団が雪崩れ込んだ。終電が差し迫った頃、場所を移して3次会となるが、ここで人数は半減した、とは言っても二十数人の集団だから、夜が更けてから大人数を受け入れる店は早々見付からないのだ。安くて気兼ねなく飲んで発散出来る場所、カラオケになった。
基本的にカラオケは歌うために行く所で、人の歌を聞くために行く所じゃない。みんな自慢の喉を披露するのに嬉々としているのだが、私は最後まで聞き手に回った。思い起こせば、2000年に韓国で強制的に連れて行かれたカラオケ以来、自分の意志でマイクを持つ事はなくなった気がする。情感を込めて歌うための意思とエネルギーを、そこで燃やし尽くしたのかも知れない。
みんな何時何所で覚えたのか?よく歌を知ってるし、しかも上手いのだ。H氏などは、彫刻よりも歌に行った方がいいんじゃないかと思えるくらいに長けている。こいつ歌で金稼げるぞと思った。本人曰く、歌も年季だそうだ。なるほどねえ、一芸に秀でるためには、それなりの努力と時間があったんだ。
とにかく始発電車が動く時間まで、歌が絶えなかったのがスゴイ。みんな頗る元気だよ。

2006.4.12

Amabiki-bus tuwer雨引の里と彫刻 2006がオープンした。会期は4月1日から6月4日。
四季を通じて、辺りの風景が一番様変わりする季節の中、先ずは桜が満開の時期(4月9日)のバスツアーである。
多くの方々に参加頂き、予定時間を遥かにオーバーして作品群や辺りの風景を楽しんだのだ。
今回は、バスや車が入れない場所が多く、行程の半分を歩いて廻ったのだが、文明に侵されてしまって日々歩く事の少ない私は、いささか疲れたというのが本音である。正直言って、前日の不摂生の所為か、足が吊りそうになってしまった。写真左は、金 鉉淑(キム・ヒョンスーク)さんの作品を廻っているところである。Amabiki-sakura
夕方5時半にバスツアーが終わって、ボランティアで協力いただいた方々への感謝の気持ちも込めて、夜桜会を開いたのだ。桜の下に数灯の照明をセットして、バーベキュー用の火も熾して、宴会委員も準備万端である。
旧雨引駅の周辺は今が満開なのだ。その花天井の下で飲む酒も、それぞれのメンバーが一品ずつ持ち寄った手料理も、それはもう格別。しかも、花の隙間から見え隠れする朧月までお膳立てしてあって申し分なし。
ただ一つ、欲を言えばもう少し暖かかったら艶歌も出たろうに・・、と言いたくなるくらい寒かった。雨引の夜は未だ冬だったのだ。さすがの宴会委員も、そこまでは手が回らなかったらしい。
寒さが身にしみるのと、側の家々に配慮して、宴会は午後8時に無事終了した。

2006.2.14

個展終了後の2月1日から、視察のためにヨーロッパに行った。
今の時期は、飛行機代が超安いのだ。直通便の往復で6.5万、往復分の空港使用税というやつを含めて、8万強ということになる。話は横道にそれるが、先日インターネットでニューヨーク往復3.9万というのがあった。現地の知合いでもいれば、広島や福岡に行くのと変わらない値段である。
今回はイタリア・トリノ郊外で開かれる展覧会の視察、とも思ったのだが、オリンピックが差し迫ったこの時期ホテルは取れないだろ事を予期して、オランダをメーン訪問地とした。旧友との再会、私の作品を扱っているギャラリーに行く事と、デルフト工科大でサインデザインの研究をしているポンコちゃんの陣中見舞いである。

オランダは既に8〜9回は訪問してる。延べ半年以上は居た計算になるけど、昔とちっとも変わらない風景や場所も数多くあるし、当然の事ながら新鮮な発見もある。
アムステルダムの市街地は、20年前とほとんど変わらないんじゃないかな。嘗て、コーヒーを飲みながら、日本へ送るショートエッセイを書いたカフェや、アムスで一番古いと自慢する、燻し銀の様な小さなパブ。今回も当然のごとく、そこに行った。先ずカフェでアムスの風景を視界に入れながら、のんびりとコーヒーを飲み、パブでジェラード(昔からの友人で彫刻家)と待ち合わせて、ワイワイと旧交をあたためながら、旨いビールとビューレンバーグゥァー(発音をちゃんと書けない)を飲んだ。
私は、このカフェとパブに来るだけでも、オランダを訪れる価値があると思っている。昼間はカフェでノンビリと本を読み、夕方からパブに行く。来ている連中とワイワイガヤガヤと世間話を楽しみながら、ビールと焼酎を飲むのだ。
そのパブの主人に聞いてみたら、日本人はほとんど来た事がないらしい。今回も写真を撮るのも忘れて楽しんでしまった。雰囲気を伝える一枚の写真が無いのが残念なのだが、もしアムスに行かれる折があったら、是非お立ち寄りを。この文の後ろに、アムスの地図をアップしたので、クリックしてもらえれば、場所が分かると思います。

center of Delft center of Delft

写真・左は、アートアフェアーズのオーナー・アントワネットと旦那のヒルガマン(彫刻家)。ギャラリーは、以前の場所とは違って、運河沿いの自宅の一階(3部屋)がギャラリー&オフィスになっていて、地下が住まいとの事だった。以前は2F/3Fが住まいだったのだが、改装してアメリカのギャラリーが入る予定だとか。アートアフェアーズはアメリカにも拠点を持っていて、その同胞が入るらしい。今回は、入り口の2部屋で、イギリスの作家の個展をやっていて、第3室で写真の展覧会をやっていた。バックの壁に見えるへんてこな形が写真である。
写真・中が、チョコレート専門店の外観。ArtAffairs(ギャラリー)でのアポイントの時間まで街中をうろついていたら、建築・デザイン専門書を扱う店の隣に、新しくチョコレート専門店を見付けた。中でパティシエがオリジナルのチョコレートを作っているのが垣間見える。私はチョコレートに然程の知識も無いために、店内には入らなかったのだが、店全体が実にいい雰囲気だった。京橋のギャラリー山口の対面にある、イデミスギノさんのお店を思い出した。
写真・右は、私の好きなカフェ De Jaren からの眺めである。1F.2Fとあるが、2Fからの眺めがいい。気候が良くなると、屋外のテラスで飲むビールが旨い。

アムスのマップ

* 初めての訪問地、デルフトとデルフト工科大については、左辺メニューをスクロールして、
 「雑談紀行記(50. デルフト)」をクリック下さい。

2006.1.15、

個展も始まって、某コンペの最終提出物も完了して、今年初めてのノンビリした日曜日だった。
今日が私にとっての正月。小春日和で、午後から雨引観音に一人初詣に行った。
新年の装いを脱ぎ捨てた境内は、人もまばらである。混雑が好きじゃない私としてはちょうどいい初詣なのだ。
雨引観音は言わずもがなの観音様なのだが、初詣には柏手というプログラムが、私のイメージの中にインプットされていて、道すがらの坂道で、えーっと2礼2拍手1礼だったよな、なんて考えながら歩いたもので、完璧に自分の思いに洗脳されてしまった。山門の中の眼光鋭い石の仁王像も、ふーむ・・・石の像としてはなかなか良い出来だ。中国製か?なんて思って潜っただけで、境内の線香の香も、やっぱり正月はいいもんだ、なんて感慨にふけってしまって、ここが神社だという思いこみを最後まで払拭できないで、拝殿の前に立ったのだ。
拝殿には上から鐘打ちの長い紅白の紐がぶら下がっていて、えーっと、この紐を振って鈴を鳴らすのが先か? 2礼が先か? と、ふと見上げたら、あれ!鈴じゃない。
私の思いこみプログラムは、根底から揺さぶられて、自分の思いの再検証のために、拝殿の前で4〜5秒間ただ呆然と立ちつくした。
ぎりぎりセーフ。ここが仏閣だったことに気付いて、ちゃんとお参りできたのだが、因みに、おみくじは末吉。焦らず時の来るのを待ちなさいという啓示だった。なるほど・・・・


Copyright © Atsuo Okamoto