美術:岡本敦生展/國安孝昌展 持続が導いた新鮮な表現

 多様性を是とする風潮も手伝ってか、美術家がそのつど別人のように素材や手法を変えることが、ちっとも不思議ではなくなった。一貫して同じ素材や手法に固執し続けるのは、まるで旧時代のやり方とさえ思われがちである。しかし、1951年生まれの岡本敦生と57年生まれの國安孝昌、この二人の彫刻家の軌跡をみれば、それが芸術にとって何の真実でもないことが察せられるだろう。
 なぜなら両者は、頑固なまでに同じやり方を守っているのに、いつも脱皮したような新鮮感を味わわせてくれるからだ。年頭を飾ったそれぞれの新作も、また期待に背くことがない。岡本といえば、切り出した白みかげ石の塊を幾つにも分割し、それを元通り積み直した連作で知られる。いったん陽光や外気、そして作者の視線にさらされた石の内部を、元に戻すことで記憶として封じ込め、未来へ受け渡そうというわけである。
 今回一番の労作となると、やはり分割した石を積み直した柱状の12体を、ほぼ等間隔に配列した「遠い山」を挙げねばなるまい。なじんできた塊状とは違うスタイルの変化に驚かされるが、個々の柱状物を継ぎ合わせていけば、元の大きな塊である1体の彫刻に戻るというから、これも従来のやり方から少しも逸脱していないことがわかる。
 内部が開示されたり、記憶として隠蔽(いんぺい)されたりする岡本彫刻の二重性。それがここまで一つの作品に構造化され、かつ秘めたエロスさえ漂わせて形象化された作例は、かつてなかったといってもいい。それだけに、この特異な成り立ちを見る側に伝えるため、1体に組み戻された作品の写真があってもよかった。
 おびただしい陶のブロックと木の丸太群が、渦を巻いて広がるかと思えば、天空めがけてせり上がってもいく。文明に牙を剥(む)く地霊の咆哮(ほうこう)にも似た國安の造形物、その迫力やスケールはどうしても野外で味わうに限る。とはいえ、屋内に展開されたそれらがかもし出すのも、ちょっと比較を絶するような異物感や神秘な気配だ。
 画廊の大小2室を使った新作も、掛け値なしに面白い。奥でつながった両室のうち、小さい方の入り口をいつもの素材群でふさいだため、大きな部屋を巡って小室にもぐり込み、そこから戻ってくるのが順路となる。入り口にロウソクがともされ、小室には水をたたえた器もあり、おびただしいいつもの素材群は、火や水のある空間を洞窟(どうくつ)さながらに包み込む。
 大室の壁面を覆うなめらかな起伏と、放射状にさく裂する床の丸太群。響き合う静と動の形象が、混とんとした洞内に世界の始まりを告げているかにも見えるが、ぬくぬくとした心地でいられるのは、そこが國安彫刻の胎内でもあるからだろう。

 岡本展=28日まで東京・京橋3の5、ギャラリー山口(03・3564・6167)▽國安展=2月4日まで同銀座5の8、ギャラリーなつか(03・3571・0130)。【三田晴夫】

毎日新聞 2006年1月17日 東京夕刊


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