86    エネルギーの選択

2012年7月16日。
原発反対のデモに17万人もの人が集まっている。かたや原発再稼働にやむなしと思っている国民は半数に上る。
もちろん経済界・政治家の大多数、電力を牛耳る各地域の電力会社はもとより、潤沢に電力消費してきた人達は、今までのエネルギー供給のパラダイムを維持したいと願っているのだろう。中でも利権が絡む連中は、何が何でも原発確保に躍起になっているのが見て取れる。

今や国を二分する原発の是非、さてさて・・・どうすれば折り合うか?
私は、先ず真っ先にやらなければならないのは、電力インフラの独占を解き放つこと、電力エネルギーを自由化し解放することだと思っている。自由主義社会にあって、電力供給だけが地域分割の一企業が独占していいはずはない。
様々なやり方で電力を作り、供給できるシステムを、自由競争の中で作り上げる事。そして国民一人一人が自らの責任と意志で、電力供給システムを選択できるようにするのが急務である。

少しばかり不安定で割高だが、グリーンエネルギーを選ぶ。 / 二酸化炭素は出すが化石エネルギー発電を選ぶ。 / 見せかけの安さと安定感を謳うが、超ハイリスクの原子力を選ぶ。 国民が一人一人の意志と責任で選ぶのだ。
原子力が事故を起こせば、原発を選んだ企業や人達が無限大のリスクを背負わなければならないわけだ。 原発を否定する人達の税金で、その膨大なリスクを補填することは最早ない。
片や、自然エネルギーを選択した企業や人達は、その代償として日々割高な料金を支払う事になる。地球温暖化の要因にもなる化石エネルギーを選択すると、割高な環境税も支払うのだ。 もちろん、二つを抱き合わせて契約する事もできる。使用契約の比率でリスクを背負う事になる。
国家を二分する原発是非論の中で、国民を無理矢理一方向にシフトさせようと、見え透いた嘘を並べ立てて国民の同意を求める政府・お役人の無能さにはヘキヘキさせられているのだ。電力会社の狡猾な言い訳や、利権確保にしか興味が無い連中には腸が煮えくりかえるのだ。 今、国家として新たなエネルギー戦略を打ち出すべき、民主的エネルギー選択システムを構築すべきだと思っている。
日本を再生させる最大のチャンス、Japanスタンダードを世界に示すのは今しかないと思っている。日本はそれが出来る能力やキャパシティーを未だに持っているはずだ。もちろん、新たな試みには数多くの抵抗や障害がはだかってはいるのだが・・・、それらを克服する技能も知能も意志も有るはずだと思っている。 世界が注目する今、ここで動かなければ、日本の経済と環境は破綻に向かう負のベクトルからは脱却できない。そして日本独自の伝統や文化は、破滅に向かうだろう。
ドイツはできて日本でできない? 何故?

極論を言えば、将来的なエネルギーの選択で住む場所も変わる事を余儀なくされるのも仕方ないのかも知れない。
原発推進派は、原発の側に住むしかない。もしくは企業の立地空間・居住空間の側に原発を立地するしかない。原発の側に工場を持って、スーパーや繁華街や学校も作る。
40年間何もなければ平穏に楽しく住めるのだが、問題は原子炉が老朽化して停止した後も、廃炉にするまでには未だ未だ時間と金は掛かっていく。原発に反対し自然エネルギーを選んだ人達の税金は使えないから、原発推進者と選択者が責任をもって廃炉や使用済みの核燃料廃棄処分までの、超長期のリスクを背負うのだ。そして廃炉になった電力を賄うために、また新たな原子炉を巨額な費用を掛けて居住区に建設するしかないのだ。
どう見積もっても、原子力が一番高価で先の見えない超ハイリスクなエネルギー源にならざるをえないことは明らか。それでもなお敢えて原発を選択し推進して行く意志が持てるのなら、彼らの自由である。 超安全な原子炉を開発し、超安全な廃棄物処理方法を開発し、そして輝かしい未来に向かって楽しく豊かな生活を送ればいいのだ。 ただそれに失敗したら、彼らの住める場所は日本には無い。
今まで政府は、それら総ての責任を国民に課してきたわけだ。国策として超ハイリスクな原発を推し進めてきた。でもここに来て、原発に反対する国民が半数以上いる中で、一部の利権と超ハイリスクな原発を、国民全体の責任の下で推進することはできないと思っている。

自然はそんなに甘くはないと、多くの人達は感じている。地球上で日本の国土は屈指の自然災害多発地帯なのだから。

されど雑談

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